寒くても平気!?花魁や遊女が素足で過ごしていた理由とは


豪華絢爛な着物に身を包み、髪に派手なかんざしを付けた華やかなイメージのある花魁ですが、実は素足で過ごしていたと聞くと意外に思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今回は花魁や遊女が素足で過ごしていた理由をご紹介します。
花魁や遊女が素足で過ごしていた理由は?
夏の暑い時期には平気かもしれませんが、花魁は冬の寒い時期でも素足で過ごしていたというから驚きです。
花魁や遊女が素足で過ごしていたのは、主に3つの理由があったとされています。
- 江戸時代の「粋」という文化
- なまめかしく見せるため
- 妓楼が花魁や遊女を遊郭から逃がさないようにするため
1.江戸時代の「粋」という文化
1つ目の理由は江戸時代の「粋」という文化です。
江戸時代特有の「素足が粋、足袋は野暮」という考え方が関係しています。
武士階級や町人も基本的には素足で過ごすのが基本であり、足袋をはくのは防寒に必要な場合のみで、たとえ寒くとも足袋をはくのは意気地がないと考えられていました。
特に花魁や遊女の間ではこの考え方顕著に現れており、「傾城は二十八にてやっと足袋(花魁や遊女は年季の明ける28歳になってやっと足袋を履ける、という意味)」という川柳が残っているほど。
しかし遊郭の廊下は氷のように冷たく、現代のように暖房設備も整っていないため、流石に素足で過ごすのは現実的ではありませんでした。
そこで、花魁は寒い時期になると「上草履」と呼ばれる底の分厚い草履を履いて床の冷たさをしのいでいたそうです。
2.なまめかしく魅せるため
花魁が素足で過ごしていたのは、色っぽく魅せるためという理由もあります。
確かに、上は豪華な着物やかんざしで着飾る一方で、着物の裾からちらりと白くて細い、無防備な足首を見せるというギャップが、より艶めかしい雰囲気を演出できますね。
お客さんの心を惹きつけようとする花魁の工夫が垣間見えます。
3.妓楼が花魁たちを遊郭から逃がさないようにするため
妓楼が花魁や遊女を遊郭から逃がさないようにするために、素足で過ごさせていたという説もあります。
花魁や遊女の煌びやかなイメージとは裏腹に、遊郭での暮らしは「苦界」と表現されるほどつらく厳しい世界でした。
そのため、なかには借金を返し終える前に遊郭から逃げ出そうとする遊女も少なくありませんでした。
そこで、妓楼はあえて花魁や遊女に素足で過ごさせることによって、簡単には外に逃げられないようにしたと言われています。
また、遊郭の床は誰かが歩いているのが分かるように、ギシギシと鳴る仕組みになっていたそうです。
遊女が逃げないように、徹底した対策が取られていたのですね。
本当は足袋を履きたかった?花魁・遊女の気持ちを詠んだ歌も残っている
花魁や遊女は素足で過ごしていたと聞くと、案外平気だったのかと勘違いしてしまいそうになりますが、実際は辛かったようです。
「亥の子から足袋をはくとは口惜しい」という遊女の心情を詠んだ歌があります。
これは「亥の子(10月最初の亥の日に行われた「亥の子祝い」という火鉢に火を入れる行事のこと)の季節に庶民が足袋を履けるのがうらやましい」という嘆きを表しているのだとか。
当時の花魁や遊女も、いくら決まりだったとはいえ、寒い時期にも素足で過ごさなければならないのには流石に堪えたようですね。
花魁が素足で過ごしていたのには3つの理由があった
今回は花魁が素足で過ごしていた理由を3つご紹介しました。
花魁が寒くとも我慢して素足で過ごしていたと聞くと、そのプロ意識の高さに驚かされますね。
花魁には素足で過ごしていた他にも、着物の着方やかんざしの付け方にも特徴がありました。
別の記事では、花魁が着物の前で帯を結ぶ理由を解説しておりますので、ぜひ併せてご覧ください。
また、花魁体験studio雅では、実際に現代風の着物を着て、花魁文化を体験できます。
こちらで花魁体験の流れを説明しているので、ご興味のある方はぜひご覧ください。