【花魁は何を食べていた?】気になる遊女の食事事情について!


美しさをキープするために食事に気を遣っている方もいらっしゃるでしょう。
「美しい」といえば、江戸時代には「花魁」がその美貌から人々を魅了していましたが、彼女たちが何を食べていたのか、気になりませんか。
今回は遊女や花魁の食事事情をご紹介します。
遊女や花魁の食事事情を階級別にご紹介
遊女の待遇や食事事情は、階級によって大きく異なりました。
ここからは、下級の遊女の食事事情と、遊女のなかでも最高格だった花魁の食事事情をそれぞれご紹介します。
下級遊女の食事事情
下級遊女は、飯台と呼ばれるテーブルに向かって食事をしていました。
飯台が置かれているのは、多くの奉公人や客も行き交う1階の廊下のような場所で、食事をしているところは丸見えでした。
食事のメニューは白米に加え、芋や油揚げなどの質素なものが主です。
なお、朝食と昼食は決まった時間に食べられますが、夜は客の相手で忙しいため、それぞれが手の空いた時間に台所に来て、冷飯にお湯をかけ、沢庵と一緒に食べていました。
なかなかお腹を満たすことが難しかった下級遊女ですが、こっそり確保しておいた前夜のお客の食べ残しを朝食として食べることもあったようです。
厳しくもしたたかな遊女の心意気が感じられますね。
花魁の食事事情
遊女としては最高格の花魁も、妓楼(花魁が奉公しているお店のこと)から提供される食事は下級遊女と変わらず、質素なものでした。
しかし、全盛の花魁ともなると、台屋と呼ばれる仕出料理屋から惣菜を取り寄せるなどの贅沢もできたようです。
気前の良い客が宴席を設けると、夜には豪華な料理も楽しむことができました。
また、花魁は2階に個室をあたえられており、そこで食事できるだけでなく食事も下女などが運んでくれます。
このように、遊女の階級によって、食事事情には大きな格差がありました。
妓楼も「花魁になれば豪勢な食事ができるぞ」と遊女たちを鼓舞させるために、あえて質素な食事を与えていたという側面もあったようです。
当時の生活水準を考えると遊女の食事は恵まれていた
もっとも、当時の生活水準を鑑みると、遊女たちの食事はまだましなほうでした。
例えば、当時の農民は、滅多にお米を食べられません。
ほぼ収穫量の半分を年貢として納めなくてはならず、残った米も大部分を売らなければ、現金収入を得られないからです。
農民が日ごろから口にするのは雑穀や麦飯であり、白米は特別なときにしか食べられないごちそうでした。
遊女が毎日白米を食べていたという点を考えると、遊女の食事は、農民よりもはるかに恵まれていたといえます。
花魁や遊女の食事事情には階級によって大きな差があった
今回は遊女や花魁の食事事情をご紹介しました。
遊女が食べられる食事には階級によって差があり、かなり質素なものが多い一方で、花魁は客との宴会で豪勢な食事を楽しめることもあったようです。
現代とは違い、あまり多くの食事を口にできなかった江戸時代ですが、花魁になれば豪華な食事を口にできるという点も、下級遊女を奮い立たせた要素の1つなのかもしれませんね。
別の記事では、花魁の見習いである「禿(かむろ)」について解説しています。
花魁への出世コースの1つである禿ですが、「年齢」や「容姿」など、禿になるにも厳しい条件がありました。
ご興味のある方はこちらの記事もご覧ください。
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