花魁の歴史を総まとめ!現代に引き継つがれている習慣や気になる裏話って?

花魁の歴史は古く、一つの職業として日本に存在していました。

そこで今回は、花魁の歴史を総まとめしました!

花魁の誕生から現代の花魁まで、歴史をおさらいしてみましょう。

総復習!男を虜にする花魁の歴史とは?

花魁の歴史を一度総復習してみましょう。

ここでは、花魁の成り立ちから現在の様態までを見ていきます。

そもそも花魁とは何なのか

花魁は、遊郭の遊女の位の高い人として認識をされていますが、もともとは「太夫」と呼ばれていました。

太夫とは、江戸時代にあった遊女屋(遊郭)で働く女郎のことを指し、女郎の中でも格上の存在でした。

そんな太夫が花魁へと名前が変わったのは、浅草吉原で太夫のことを「花魁」と呼ばれはじめたのがきっかけです。

時代が経つにつれて、人々は太夫ではなく花魁と呼ぶようになり、花魁がメインの呼び名となりました。

花魁の成り立ちについて簡単に説明をしたところで、それぞれの時代の花魁がどのようなものだったのか見ていきましょう!

江戸時代

出典:japaaanマガジン

江戸時代、遊女屋である「傾国屋」が江戸中で乱立しており、風紀が乱れておりました。

そこで、風紀を正そうとした江戸幕府は、遊女屋を認可し、当時僻地だった藁屋町の土地を遊女屋に提供し、遊女屋を一点に集約しました。

そこが、「葭原(よしわら)遊郭」の原点です。

葭原遊郭は、1617年に建物が建てられましたが明暦の大火(大火事)で焼失してしまいました。

その後、浅草方面へと移動をし、現在良く知られている「吉原遊郭」が誕生しました。

明治時代・大正時代

出典:exciteニュース

浅草方面へと移動した吉原遊廓は、この頃には京都の島原遊郭、大阪の新町遊廓と並ぶ日本三大遊郭として、君臨していました。

吉原遊廓は、敷地は約2万坪の大きな敷地を持ち、遊女は何千人もいたともいわれており、当然花魁もたくさんいたとされています。

しかし、明治時代が進むにつれて、吉原遊廓を含めた全国の遊郭が段々と勢いを落としていき、縮小していきました。

昭和時代

出典:Wikipedia

この時代になると、日本が戦争の時代へと突入していきます。

日本が1945年に戦争に負け、GHQの支配下に置かれました。

GHQの支配の下、公娼廃止指令や売春防止法といった法律が制定され、その法律により、吉原含めた全国の遊郭は営業ができなくなり、遊郭は消滅。

当然、そこを本拠地として営業をしていた花魁も消滅してしまいました。

現在も残る花魁の文化

現在、花魁そのものは消滅してしまいましたが、様々な形で花魁の文化が残っています。

例えば、花魁が深く関わっている文化の裏話として、”招き猫”があります。

招き猫は、大の猫好きであった吉原の花魁、薄雲という人物が作ったと言う説があります。

ある日、トイレに入ろうとした薄雲に付き添っていった三毛猫をみた楼主が、あまりにもいつも一緒に猫三毛猫がいることに不安を覚え、猫の首を跳ね飛ばしてしまいました。

そうすると、その猫の首は宙を飛び、トイレの下で薄雲に噛みつこうとしていた蛇に噛み付いて薄雲の命を救ったそうです。

薄雲はその三毛猫の死を大変悲しみ、長崎から伽羅の銘木を取り寄せ、この三毛猫を彫ったそうです。

それが”招き猫”の発祥と言われています。

このような裏話が色々とあり、普段なかなか気づかないところにも花魁の名残が残っています。

裏話だと、こちらの記事でも取り上げていますので、気になった方はぜひご覧ください。

びっくりの事実発覚?!花魁の裏話を集めてみた

現在の花魁とは

現在は遊郭がなくなってしまったので花魁を見ることはできないのですが、花魁体験ならすることができます。

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花魁にもっと興味が湧いた方は、花魁の恋愛についてもご紹介していますので、ぜひこちらの記事もご覧ください。

恋もまさに命がけ!本当にあった花魁の恋愛に関するエピソード